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原発

原子力発電所に関する事についてアトックスに学ぶ

日本は戦争に負けて以来、不遇な時代を過ごしてきました。
多くの人々が爆弾によって命を落とし、家を焼かれ住むところを失い、路頭にさまよい食べることもできない時代があったんです。
戦争孤児な度もたくさん生まれ、生きていくこともままならなくなりい命を落とした子供たちも沢山います。
さらに特攻隊に入隊し、自ら爆弾となって攻撃して命をお落とした若者も数えればきりがありません。
このように戦争は、人々を不幸にしたくさんのかけがえのない命を奪い去っていったんです。

戦後の日本の状況について

幸いにして生き残った人々もこの先アメリカの占領下で、どのような暮らしが待っているのか、植民地にされてしまうのではないかと恐怖に駆られていたのは言うまでもないでしょう。
今までの日本の考え方や価値観は、一気に否定され新たな考え方や制度が導入されていきました。
軍事国家かだ脱却したとき、日本人は不屈の精神を発揮し皆が協力してこの国の再建に尽力しました。
日本人は元来協調性が高く、互いを思いやりいたわりの精神があります。
一致団結して、日本人独自の真面目や勤勉さ、繊細さの他手先の器用な高度な技術を生かして、あらゆる産業の発展に尽力しました。
とくに工業団地がたくさん建築され、そしてあらゆる工業製品が開発されたくさん生産されました。
その精巧な技術、巧みな技は日本だけにとどまらず世界の知るとこになり、いまでは日本製の工業製品が一番であるともいわれてます。
それを表すのが、町工場で作られたねじがNASAのロケットに活用され、宇宙を漂ってるんです。
日本も職人は経験と勘をたよりに、ミクロに及ぶ精密で確かな仕事をします。

高度成長期にはニュータウンの建設が相次ぐ

これはいかなるロボットを使ったとしても不可能な神業であり、どれだけAIが発達してもまねできないことなのです。
こうした目覚ましい工業の発展が、自動車を作り半導体を作り上げるということにつながっていきました。
さらには高度成長期にはニュータウンの建設が相次ぎ、団地が新たな日本の憧れの住まいになっていったんです。
長屋とはことなり、ドアや壁で間仕切りされた室内にはリビングダイニングがあり、子供部屋や夫婦の寝室も用意されてます。
絨毯敷きのアメリカンテイストな住まいでは、また日本人が研究開発して作り出された三種の神器の冷蔵庫、テレビに洗濯機が備え付けられたんです。
このようにして戦後は日本人の不屈な精神と勤勉で繊細な仕事によって、この国を再建し高度成長にまで達成させたのです。
さらには、あらゆる研究者や科学技術者の手によって、高度なインフラ整備も整えられました。
水道下水道の整備は、世界に誇れるものであり、水道をひねれば飲み水が出る国など他では見られないでしょう。
ここにもまた日本人の勤勉さ、真面目さ追求心が生きているんです。
日本のろ過技術は世界に誇るものであり、発展途上国からの技術指導や支援のオファーは後を絶ちません。
ベトナムなどのアジア諸国の水の品質が向上したのも、紛れもなく日本の技術のたまものであるんです。

原子力発電の開発や発展が目覚ましい

インフラ整備で忘れてはならないのは、電力発電です。
日本は世界一明るい街、明るい国との呼び声も高いのです。
海外から飛行機で帰国したとき、日本ほど明るく電気が灯っている空港は他にありません。
それだけ原子力発電の開発や発展が目覚ましく、我々日本人の豊かで明るい生活を支えてます。
海外では停電や漏電などもいまだによく見られますが、日本では災害時以外決してこうした事態には見舞われないです。
それは日本国中にたくさんの原子力発電所が存在しているからです。
しかしながら、原子力発電所に対してはネガティブな見方をする人も多いことを忘れてはなりません。
それは便利な生活を享受してくれる反面、非常に人にとって危険で様々な問題がはらんで居るからです。
万が一、原子力発電所の建屋が倒壊したり、破壊されてしまうと甚大な放射能漏れになり、人が健康で安全に暮らしてはいけません。

東日本大震災から学ぶこと

東日本大震災を見てお分かりの通り、地震や津波で建屋が倒壊し、メルトダウンが起こってしまうと人間は制御不能に陥り、放射能を浴び続ける生活が強いられるのです。
放射能は人間の甲状腺に悪影響を及ぼすことがわかっています。
東日本大震災、チェルノブイリとも周辺住民の甲状腺に何らかの影響を及ぼすことがわかってるんです。
例えば甲状腺疾患や甲状腺がんが代表的なもので、それにより命を落とした人も珍しくありません。
そして汚染水も非常に甚大な問題と言わざるを得ません。
汚染された水の処置や廃棄の方法が見つからず、海に放流しなければならない事態になってます。
海に放流してしまうと、海の生態系が乱れてしまい日本のみならず世界中の食生活に悪影響を及ぼしかねません。

まとめ

今後今まで通り、日本で原子力発電所を稼働し続けるのか、過去の教訓から我々は真剣に原子力発電の在り方を考える必要に迫られてます。
脱炭素やSDGsを目指す社会での原子力発電所の在り方がいま問われているのです。

参考記事:株式会社アトックスについてのまとめ

大地震と津波問題で揺れる原子力発電所はいろいろな見解があります

石炭や木材、石油を使わない原子力発電所は2011年に東北で起きた大地震以降、問題視される声が高まり現在に至っています。
本来であれば地球環境に有害な物質を出さずに発電でき、発電能力も高いので夢のような発電システムとも考えられます。
ところが、国内では廃炉に向けた活動が広がる一方、運転を稼働させることをストップさせる運動も全国各地で行われています。

 

2020年6月では運用中は33基、廃止と解体中が26基

原子力発電所は2020年6月では運用中は33基、廃止と解体中が26基となり、自然災害を受けた際に甚大な被害が予測される場所では解体中、若しくは運用中であっても点検中、及び停止中となっている場所は非常に多く、稼働中の原子力発電所は4基に留まっていることが現状です。
クリーンエネルギーに近い存在の原子力発電所は、かつては夢のような発電システムとして認識されてきて、実際に2酸化炭素は殆ど発生することがない点にもメリットを感じることが多々ありました。
ただし、原子力を使っている以上は、古い時代から優れた技術力が必要とされ、発電所は一般構造物とは全く異なり、常に安全管理を徹底して運用されてきた背景があります。
見方を変えれば多数の発電所を国内に置くことで、国力を示すと同時に高度な技術力を有する国として海外からの評価を判断する材料の一つに使われてきたとも考えられます。
実際に技術力の無い諸外国では、日本製の原子力発電所のオーダーを行う国も存在していたことも事実ではないでしょうか。
このことからもビジネスとして成立していることになり、海外へと輸入を行う上では大きなプロジェクトに利用されてきました。
現状では停止中の発電所が国内では圧倒数を占めるようになり、今後の未来は決して良好ではありません。

 

原発は不要のものと判断する方が圧倒的に多い

世界中の注目を浴びた福島原発をきっかけに、国だけではなく国民からもいろいろな声が上がるようになり、不要のものと判断する方が圧倒的に多いということも実情です。
現在運用中であっても点検中、停止中とされている発電所では活断層を専門家によって導き出され、少しでも大地震の影響を受けるような活断層が近くにある発電所は今後も復帰する見通しは殆ど無いと言っても過言ではありません。
では、電力確保に向けた対策はと言えば、火力発電所が全国各地で稼働をしており、2酸化炭素は大きく発生してしまいますが、もしもの甚大な自然災害が起きてしまっても、リスク少ない発電所として注目されています。
今後は脱原発を訴えることは賛否両論ある中でも間違ってはいないとも判断できます。
放射能漏れを起こしてしまうと、現在の国内の東北エリアの一部のように、自宅に住めない被害が高まる懸念は捨てきれません。

 

新しい発想で異なる方法での再生エネルギーも普及をしている

代替として古くから使われてきた火力発電所はフル稼働をしていますが、新しい発想で異なる方法での再生エネルギーも普及をしています。
再生エネルギーはクリーンエネルギーと同じ発想になり、有害な物質を一切出さずに発電可能なシステムを指してます。
具体例では太陽光発電システムがあり、個人の住宅からマンション、商業施設など多くの場所で活用されるようになり、大規模な太陽光発電システムはメガソーラーとして全国各地に作られています。
更に風力発電や水力発電という発想も活発化されるようになり、エネルギーを分散させることで自然災害時の被害を最小限にできるという考え方も行えます。
原子力発電所は反対をしている方だけではなく、稼働の推進を望む声も数多くあることは事実です。
しかし、20年後、30年後、50年後など長期的なスパンで考えた場合は、エネルギー問題は既に別のステージにあるという考えも間違いではありません。
人や住宅、街全ての安全性を確保した上でエネルギーを作り出す発想では、やはり再生可能エネルギーを増設していく方向が正しいのかもしれません。
将来に負の遺産を残さないためにも新時代としての理解は必要とも判断できるのではないでしょうか。

 

国民の努力もエネルギー問題では重要

原発の場合は一度作ってしまうと廃炉を行う際に出てしまう有害物質の処理法にも問題が浮上してしまいます。
核燃料棒や汚水処理問題、プルトニウムの問題等も鑑みて、新しく設備を国内に作るべきではないことは正しい判断かもしれません。
国民の努力もエネルギー問題では重要です。
電気事業の自由化により各ご家庭では自由に電力会社を選べるようになり、切り替えを行うと電気料金は安くなる可能性があることは既に知られているメリットです。
電気料金を安くすること自体はユーザーにとってメリットですが、根本的な考え方としては同じ電力消費量で安くなって喜ぶよりも、そもそもの電力使用量を減らす工夫や努力を行うことも重要です。
既に太陽光パネルを設備にしている住宅は問題はありませんが、それ以外の方は常に節電を意識的に実施することで、地球環境に優しい状態を保つことができます。
大地震に対して完璧に建造物を守るということは不可能に近いものなので、各々の電力に対する意識改革も必要です。

出典:アトックスって何をしてる会社かな?
 

義援金は信用できるところだけを利用するようにすべき

募金

詐欺をしてお金をだまし取る団体に注意

義援金は信用できるところだけを利用するようにすべき、基本的に信用出来るかどうか分からないというようなところではお金を送らないという事を徹底するようにしなければなりません。

断定的に言っているのはこのようなお金を詐欺をして、だまし取るという事をしている人達がかなりいるという現実があるから。
何しろ義援金ということになれば、すぐにお金が必要というように思う人が多いので、あっという間に多くのお金を集める事か出来る上に、用途は開示する必要もなく報酬も求められないというわけですから、これほどありがたい詐欺の材料は無いという事になるからです。

このような事をする人達は、ほとんどの震災で同じような事をしていて、次もする事になるでしょうから、このような人達が出てこないようにするという意味も込めてすべきではないという断定で言っているというわけです。

人の良心に付け込んでのこのような行為は極めて悪質と考えて良いでしょう。
ですが、これを取り締まるのも難しいという現実もあると日本ユニセフの人は言及しています。

日本ユニセフ協会に学校で協力したい方へ

何しろ少しでもお金を被災地の人に渡せばそれで義援金を渡したという結果も出せる事になります。
それが例え受け取ったお金の半分以下だったとしても、何の問題にもならないということになるわけです。

義援金が全額被災した人に届けられることはない?

義援金を送る人はほとんどが全額が被災した人に渡るというように考えているのでしょうが、実はそのような事はほとんどありません。
全額渡るという事は、そのような事をボランティアでするという事を宣言していた場合で、尚且つ集まったお金も届けたお金も公開している場合だけというように考えて良いでしょう。

お金の金額を公開することに時間は殆どかかりません。
単に数字を入力してしまえばそれでいいだけの事ですから、これに時間がかかるというような事は嘘です。

ですから、渡ったお金を非公開にしているというようなところは、その段階で公開できない理由があると考えてまず間違いありません。
即ち多くのお金を運営側が獲得してしまっていて、残りを被災地の人達に渡すという事をしているという事になります。

公開さえしなければ、その比率は分からないわけですから、自分達はいい事をした人間として評価を上げる事が出来る上に、報酬はがっぽりと貰う事が出来るという事で、この人達が考えている事は自分達の報酬の事だけで、被災地のことなど全く考えてはいないということになります。

ですが、これを取り締まるという事も今のところは出来ないというのが現状です。
何しろ被災地の人達にお金が渡っているという現実があるわけで、ある意味ではこれは義援金をしっかりと運用しているという事すらいえるわけです。

寄付

寄付などに関する法律が整備されていないのも問題がある

ボランティアというような奉仕の場合はどこまでが奉仕で、どこまでがビジネスなのかという事を決める事が極めて難しいということになります。

奉仕という形でもらってしまうと、契約書もなければ、義務や権利というものも一切発生していないわけですから、これをどう扱うのかというのは運営側のさじ加減になってしまうということで、これは良ってしまえば、被災地の人達を利用したビジネスをしているという事にもなるのですが、これを証明する方法は今のところは無いという事になります。

寄付などの法律が整備されて集めたお金の90%以上は目的のところに届けなければならないというような事になれば、このような怪しい団体を罪に問うという事も出来るのですが、今のところはこのような動きは無いといって良いでしょう。
ですから、今の時点ではお金を出す人が気を付けるしかないという事になっているわけです。

お金を出す人は、ほとんどの人が性善説に従ってお金を出していると考えられます。
寄付を募るような事をするところがそのような間違ったことをするはずがないという事を考えてしまうのですが、これは逆で寄付という事を募るようなところほど性善説は通用しません。

苦労をしないで手に入るお金程人が欲するものは無い

通用する所は必ずといって良いほど自分たちの立場を明確にして、お金の出入れも全てを開示して、明確に自分たちは預けられたお金を間違いなく届けるという事をこうした数字の裏付けと共に示すという事をしますから、そのような事が出来る所でなければ利用してはならないというように考えましょう。

お金に関して絶対的に人に関して性善説は成り立ちません。
お金の魅力はそれほどまでに大きいもので、苦労をしないで手に入るお金程、人が欲するものは無いという事も真実です。

ですから、確実にこの団体は信用できるという事をかんじられるところ以外は全て怪しいということで利用しないという事をするようにしましょう。
義援金の使い道は明確に被災地の支援になるという事が確信できなければ、その意味は無いというように考えて、間違っても詐欺やビジネスでこのような事をするような人達のところにお金が行ってしまう事のないようにしなければなりません。

そうなると、また味を占めて次の犠牲者を捜すということを彼らはするようになるので、このような事をしても利用者がいないというようにする必要があるのです。